HOME > 子供を出産時に亡くし、カウンセリングをうけつつ立ち直ろうと頑張っています。悲しみより恨みのような気持ちが強く、そんな自分をどのように浄化したらよいのかわかりません。

子供を出産時に亡くし、カウンセリングをうけつつ立ち直ろうと頑張っています。悲しみより恨みのような気持ちが強く、そんな自分をどのように浄化したらよいのかわかりません。

【 ご相談内容 】

子供を出産時に亡くしてから数ヶ月後に鬱病になり、カウンセリングをうけつつ立ち直ろうと頑張っています。
最近気がついたのですが子供を亡くしたことで性格がかなり変わってしまいました。そんな自分が恐ろしく大嫌いで自分が一番信じられません。ベビーカーで子供を連れて愛おしそうに歩いている人や子供を見るとものすごくイライラしたり、健康そうに歩いている夫婦をみたらイライラしたり。
そんな自分が怖いです。

子供を亡くした当時は子供が愛おしくて大好きすぎて悲しくて悲しくて泣いてばかりいました。毎日毎日泣いていました。
そのうち自分だけなぜこんな目にあうのか、そしてうつ病にもなって、なんでこんなに苦しむのかすべてが悪循環で立ち直ろうとしてもきれいな心で前を向いていけるのかわかりません。

こんな汚い黒い気持ちは妊娠前はまったくありませんでした。私は歪んだ人間になってしまったのでしょうか。悲しみよりも怒りや妬み、恨みのような気持ちが強く、そんな自分をどのように浄化したらよいのかわかりません。
主人は立ち直っています。早く次の子供をせかしてきますが私は自分が黒い気持ちをもったまま妊娠してよいのかこの気持ちは一体何なのか、これが本当の自分なのかわからず混乱しています。

【 回答 】

リリーさん。その後体調はいかがでしょうか?
「まさかこんなことが―」。りりーさんは、ご出産の時がお子様とのお別れという辛い経験をなさったのですね。

りりーさんは、今、「この気持ちは一体何なのか」とお悩みを「相談室」にお寄せくださいました。
私は、りりーさんのご相談を拝見して、「なんとまっすぐに心の動きを見つめることができる方なのだろう」、「こころの不調に対して、必要な環境を整える前向きな行動力を持つ方なのだろう」という印象を持ちました。

カウンセラーとの対話やさまざまな学びを通して、喪失や悲哀からの回復には、プロセスがあること等は、すでに承知されていることでしょう。頭ではわかっていても、吹き荒れる感情の嵐―。その内面をりりーさんは、自分の言葉として語るチカラを持っています。りりーさんの感情の豊かさが伝わって参ります。

さて、赤ちゃんとのお別れという哀しみの出来事にりりーさんもパートナーも、周囲の方たちも深い影響を受けています。特に、母であるりりーさんは、お子様が生きた数十週の証がご自身の心身に深く、深く刻まれています。これは、忘れようとしても忘れることはできない証です。母だけが知っているいのちの鼓動、母だからわかってあげられるいのちの価値だからです。「赤ちゃんは生きていたのよ」という気持ち、「赤ちゃんはお空に帰ってしまったの…」という気持ち、両極端な気持ちの間で揺れるのは、人としてとても自然なことであると私は思います。
でも、いつものように日々の暮らしを営々と過ごしていかなければなりません。深く哀しんでいる心の世界は、外からは見えません。りりーさんには、透明なガラスで向こうの世界と自分の世界が隔てられるような感情に悩む日もおありだったのではないでしょうか。

こんな汚い黒い気持ちは妊娠前はまったくありませんでした。それは、その通りのことなのです。赤ちゃんとのお別れした経験からはじまった、とても自然な感情なのですから―。
街で見かける子どもや家族に対して、イライラする。赤ちゃんとのお別れを経験したほとんどの方がそのような感情をお話くださいます。そして、その人その人がさまざまな工夫を重ねていらっしゃいます。
例えば、子どもとあわないように生活時間をシフトして、その時期を過ごしたという方もいれば、そうしたくても家の前が幼稚園で避けることができなかったという方―。姉妹や親族が同じ時期に妊娠出産をして、「おめでとう」と言えない苦しみ等など―。

でも、そのような嵐は、いずれ凪の時が来るというのも、現実です。その道のりはひとりひとり違います。大切にしたいことの順番があり、時間も人それぞれです。「怒りや妬み、恨み」はあることが、人として自然なことです。ところが、「赤ちゃんとのお別れ」等の出来事は、当事者にとっては、メンタルヘルスの危機ともいえる状況ですが、「なぜ、私だけが―」や「誰もわかってくれない」ということが、もうひとつの辛さです。
この辛さは、共通の経験がある人同士の共感と情報提供の中で、ゆっくりと癒されていくものでもあるかもしれません。そのために、ポコズママの会などの自助グループの存在があります。残念なことに、日本では、どの街に住んでいても、自助グループがあるとは限らないかもしれませんが、機会があれば、共通の経験を持つ人同士の中で、ご自分の感情を言葉にしていくことも意味があることかもしれません。

また、りりーさんの性格は変わっていません。愛別離苦という深い人生観を知る人として、人間力を深められている途上なのではないでしょうか。そして、それを導いてくれるのは、りりーさんのお子様。たとえ短くても精一杯生きたいのちの存在です。
そのような感情に気付く日が必ず訪れて参ります。たくさんの「仲間」がそのことを実証してくれています。

最後に、パートナーについてですが―。
愛別離苦という経験は共通していますが、パパとママで感じ方は違います。「赤ちゃんとのお別れ」を悲しまないパパはいません。そして、赤ちゃんをいのちがけで育んだ妻のことを愛おしく思わない夫はいません。パートナーは、第一に妻のことを想い、これから父になろうと思っているのですが、妻の方は、母が第一になっていて、時には、妻の立場は優先順位が低くなっていたりするかもしれません。しかし、パートナーが自分の想いをどのような態度や言葉で伝えるか―最初から映画やドラマのようにできるご夫婦もなかなか少ないようです。言葉や態度にする程にすれ違ってしまうこともあるようですが。
なかには、「夫のほうが立ち直れない」、それが辛いという方も―。すったもんだしながら、自分たちのそれぞれの想いの色合いの違いを理解し合う―これも大切な人生の歩き方なのではないでしょうか。

りりーさんは、今は、赤ちゃんとのお別れという経験と真摯に向き合っていらっしゃるのだと思います。そのまっすぐで正直なところがりりーさんらしさなのではないでしょうか。そして、今、いのちの意味を知る人として新たなりりーさんが再生されている過程でもあるかもしれません。人生には、自分の力ではままならないことがある―それを知るには、愛別離苦は辛すぎる経験です。しかし、それを知る人は、慈愛を深め、その後の人生の質を高めていかれます。
そのことを、私は、心から応援させていただきたいと思っています。

相談者:りりー様
回答者:田村 芳香