HOME > 妊娠10週流産と、30週死産を経験しています。死産から1年が経ち、職場復帰しようと思っていますが、先日訪れた診療内科で言われた言葉がショックでまた気分の落ち込みが激しくなっています。
妊娠10週流産と、30週死産を経験しています。死産から1年が経ち、職場復帰しようと思っていますが、先日訪れた診療内科で言われた言葉がショックでまた気分の落ち込みが激しくなっています。
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【 相談内容 】
妊娠10週流産と、30週死産を経験しています。地上に子どもは、いません。
仕事が、妊婦さん赤ちゃんを支える仕事(虐待などにも関わります)なため、とても仕事できる状況ではなく、1年間休職していました。
死産から1年が経ち、職場復帰しようと思っていますが、先日訪れた心療内科で先生に「まあ、生まれた後よりに亡くなるよりは(悲しみの程度は小さいはずだよね。)」と言われ、その言葉がショックで最近また気分の落ち込みが激しくなっています。
心療内科の先生は、いつもの先生ではなく、それでもいいかと思って受診したのが良くなかったのかなと思います。それでも、怒りが止まりません。私の気持ちをたくさん話したのに、心の中で(そんなことでこんなに落ち込んでたなんて、、、)と思われていたと思うと、本当に悲しいです。
その先生は、「性別はわかってたの?」と聞いてきました。妊娠8ヶ月の死産なら、性別も分かってて当然です。写真を見せたら、「あなた、死産なんだよね?」と聞いてきました。死産について、何も知らないんだと思います。思わず先生に、「そういう人がいるから、しんどいんです。私たちも、産んで、抱っこして、かわいい我が子を火葬して、骨になる経験をしているんです。」と強めに言ってしまいました。
夫に話すと「そんな人のために落ち込むなんてもったいない」と言います。その通りだと思いますが、何回も思い出してしまいます。思い出すと気分が落ち込みます。
この気持ちを、どのように処理したら良いでしょうか。
また、このように医療職にもかかわらず、死産のことを知らないのは、一般的なのでしょうか。悲しくて悔しいです。
【 回 答 】
さやかさん
2回目のご相談をいただき、「その後」のご縁をいただきました。
1年間、休職をすることができたこと。
職場復帰に向けて準備をされていたこと。
大切に時を重ねてこられたことが伝わります。
今回は、心療内科の精神科医との対話を通して、さやかさんは「怒り」の感情を強く引き出された出来事を伝えてくださいました。
「いのち」とのお別れを経験されたさやかさん。
しかし、その日のドクターは、多くの人がそうであるように、妊娠や出産を戸籍に載ることからはじまる「いのち」のイメージで捉えていることを、さやかさんは察してしまいます。
>死産について、何も知らない
「死産」はもちろんのこと、すべての出来事は経験したからこそわかることばかりです。
>思わず先生に・・・強めに言ってしまいました。
さやかさん、お辛かったでしょうが、それは、一人の専門職に「体験的知識」を伝授する「教育」の時間となったと、私は思います。
心療内科の精神科医は、本来、「生命」と向き合う教育を受け、臨床の現場に立つはずですが、「いのち」とのお別れの本当を知らない―。
さやかさんは、とても悲しい、辛い経験を重ねて来られたからこそ、この現実をありありと察することができるのではないでしょうか。
さやかさんは、赤ちゃんを支えるお仕事に有用な「専門性」を持つことはもちろんですが、さやかさんをママとして生を受け、今はお空に帰られたお子様たちから「当事者性」というかけがえのない「経験的知識」を授かられました。
しかし、「当事者性に根ざした経験的知識」は、理論化や体系化がなされるものではありませんので、専門職として立つ現場では、揺れる感情に直面されるに違いありませんが、「向き合い続ける」ということに深い意味があるのではないでしょうか。それを一人で越えるのではなく、共通の経験がある人たちと共に(実際に会うかどうかというより、その存在をいつも傍らに感じつつ)、向き合い続けていくことだと思います。そして、専門職としての悩みは、スーパービジョン等、チームのなかで浄化をされる仕組みがあることも、さやかさんのお仕事の組織力でもあると推察しています。
もしいつもの主治医の先生がいらしたら、今回のさやかさんの「怒り」は起こらなかったに違いありません。
でも、今回の精神科医の先生は、「社会」の縮図。
その経験を知らない人の代表者として、さやかさんの前に立ち現れたのではありませんか?
人はお互いの本当の「経験」の意味をすべて知ることはできません。
逆境にある人は、自分に起こりつつあることが何であるのか、これまで経験をしたこともない出来事を前にして、自分を守ることに精一杯。
一方、職務を遂行する人は、職務の範囲で、その人に出来ることをする。
支援は分断され、逆境にある人の人生や生活の質を維持し、高めるためには向かわない。
私たちの国の「支援」の現場では、こんな構図がありはしないでしょうか。
>そういう人がいるから、しんどいんです。
「流産」「死産」等の経験は、経験した人や経験した人が周りにいる人ならば、わかることがあります。
でも、ひとりひとりの経験はそれぞれに違います。
>虐待などにも関わります。
さやかさんのお仕事はとても専門的です。
「虐待」という言葉には、さまざまな人の人生や過酷な環境という言葉に言い尽くせない状況があることでしょう。
深い「当事者性」を持つさやかさんが職場復帰をされた時には、心理面ではさらに深く、環境面ではさらに多面的に、対象者様の心情や置かれた状況を受けとめようとする人として、現場に立たれるのではないでしょうか。
お仕事の復帰は容易なことではありませんが、さやかさんが経験されたことの意味をさらに深く見出していくことにもつながるかもしれません。
もちろん、一気呵成ではなく、まさに大河の一滴のごとく。
経験的知識の「強み」は、生涯をかけて向き合うに足るかけがけのない経験があること。
そして、さやかさんにはさらに「強み」があります。
ご自分の深い感情と丁寧に向き合い続ける力。
ご自分の揺れる心情も言葉で伝えられるパートナーがいること。
「その通りだ」と思える言葉をまっすぐに届けてくださるパートナーであること。
専門的教育を受けられたということ。
復帰を待つ職場があること。
いのちのかけがえのなさやお別れの深い心情と向き合うかけがけのない経験をされたということ。
すべては「強み」であると感じます。
人の人生に向き合う専門職としても、
いのちの尊厳を知る当事者としても、
共通の関心や経験を持つ人と共に、
自分の気持ちと向きあい続け、自分が願っていた人生を歩んでいくこと。
そのために、必要な時には、HELPを出し、必要な環境がなければ創造し、経験の意味を社会に発信していくことが、私たちの国には必要なことであるかもしれません。
ひとりひとりが生きる現場から、できることから。
さやかさんの「専門性」「当事者性」を大切に、生きてください。
相談者:さやか様
回答者:田村 芳香
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