HOME > 7週と10週で赤ちゃんを亡くしました。先日、主人の前で泣き続けてしまいました。時々、コントロールがきかず感情があふれ出します。自分の気持ちと主人への向き合い方についてアドバイスをお願いいたします。

7週と10週で赤ちゃんを亡くしました。先日、主人の前で泣き続けてしまいました。時々、コントロールがきかず感情があふれ出します。自分の気持ちと主人への向き合い方についてアドバイスをお願いいたします。

【 相談内容 】

第一子を7週で亡くしてから10ヶ月。ようやく立ち直りかけていた矢先に第二子を10週で亡くしました。

主人は子供好きでとても優しい人です。共に悲しんで、私の話もよく聞いてくれました。子供は欲しいけれど妊娠が怖くなり無事に産める気がしなくなってしまった私。私が前向きに望むなら不育症の検査でも不妊治療でも積極的に協力するし、夫婦二人で仲良く生きていく未来も幸せだと言ってくれた主人。支えられて心から感謝して少しずつ前を向けてきたと思っていました。

昨夜、主人が職場の同僚の子供の話をしました。微笑ましい話でした。主人に一切悪気は無かったと思います。でも途中から私の様子がおかしいことに気が付いてハッとしたように謝りました。

そこから涙が止まらなくなり、でも傷付けたくなくて何も言えず、ただただ泣き続けました。しかしそれも限界になったのか、苦しくて苦しくて気がついたら「私だって産みたかった」と泣き叫んでいました。主人のことも自分のことも酷く傷付けてしまい、どうしたらいいのか分からなくなってしまいました。

流産後、私は子供や妊婦さんを見るのも、その話題を聞くのも辛いです。主人は時々落ち込むものの、子供という存在がより愛おしく思えるようになったそうです。捉え方の違いは仕方がないと分かっていたはずなのに、今回のようにコントロールがきかずに感情が溢れ出てしまうことが時々あってどうしたらいいのか分かりません。自分の気持ちと主人への向き合い方についてアドバイスをお願いいたします。

【 回 答 】

ふたつの命のママとなられたはなさんは、「まさかこんなことが」という経験をされました。
9週と10週での突然のお別れ。
その哀しみはいかばかりかー。

>子どもや妊婦さんを見るのも、その話題をきくのも辛い。
自然なことだと思います。赤ちゃんとのお別れを経験した人は誰もが同じ想いです。

>私だって産みたかった
はなさんのこころに閉じ込めていた気持ちが言葉になって、ほとばしりでた瞬間だったのですね。私は、はなさんとパートナーが一緒にその言葉を聞くことができてよかったと思いました。

>でも、傷つけたくなくて何も言えず
嵐のように激しい感情が吹き荒れるなかで、はなさんは自制することができたのです。はなさんの聡明さが伝わります。

>とても優しい人
パートナーは穏やかな方なのですね。

>共に悲しんで、私の話も聞いてくれました。
パートナーは、共感するこころのある方なのですね。

>前向き
>夫婦二人で仲良く生きていく
パートナーは、このような経験について、とても良く学習をされています。このような言葉を聞くことができないと、悩む方も多いものです。また、こころで思ったとしても、言葉にすることにためらいを覚えるパートナーもいることでしょう。はなさんとパートナーは、日頃から会話の多いご夫婦なのですね。

>同僚の子供の話
>悪気はなかったと思います
日頃は、優しいパートナーが、どうして子供の話をなさったのでしょう。パートナーは、すっかり「パパ」のこころが芽生えているのかもしれません。赤ちゃんとのお別れは、哀しい出来事ですが、いのちの存在を身近に感じる経験でもあります。

>子供がより愛しく思える
そんな内面の変化を伝えてくださったのですね。

>捉え方の違いは仕方がない
女性は、子供を産む性。違いは明白です。9週、10週のうちに、はなさんは母としてのからだの変化が急速に始まったことでしょう。本当に不思議です。いのちを宿すということは、なんと深い世界なのでしょう。心音やエコーで見たわが子の姿、共に過ごした時間のすべてが、はなさんのからだに刻印されています。からだが覚えていることも多いものです。それは、子供を宿すことのない性には、伝えようがないこと。違っているからパートナーなのでは?時間差や受け止め方の違いにとまどう人は、多いですが、「違うんだね」ということもひとつの事実。

>感情があふれでて
今はそのような季節です。

>主人のことも自分のこともひどく傷つけてしまい
感情をオープンにすることは、はなさんにとっては、自分でも驚くような出来事だったのでしょう?でも、それは人間であることの証。感情があって当たり前。愛別離苦の哀しみは、激しいものです。パートナーの前で表出できたことも良かったと思います。感情の嵐は、しばらく続くことでしょう。凪の日にも、暮らしの中でしばしば哀しみが再熱することもあるでしょう。「ああ、私は今とても悲しんでいる」というご自分の気持ちを受け入れてあげてください。

でも、ひとりで越えていくことはしんどいことです。もし、お近くに赤ちゃんとのお別れを経験した人同士の集いの場があればお出かけになるのもひとつの方法です。
直に話をすること、聴くことは、通訳なしで通じ合う安心感を味わうことができるでしょう。

>主人との向き合い方
何かをする-doing-だけでなく、共にいる- being-の安心感を味わうことができることが、パートナーの存在感ではないでしょうか?哀しいことを哀しいと言える時は、伝えてよいのではないでしょうか?家事をするパワーがない時は、パートナーとわかちあつたり、人に委ねても良いかもしれません。

眠ることができない程、心身の変調がある時は、まずはからだを休めてください。今は、嵐の真っ只中。ゆる〜く、ゆる〜く、こころとからだを休めてください。

相談者:はな様
回答者:田村芳香