HOME > 3人の子供がいますが、4人目、5人目の子を死産しました。赤ちゃんをあきらめきれない自分はおかしいでしょうか。これ以上子供を望むのは問題があるのでしょうか。

3人の子供がいますが、4人目、5人目の子を死産しました。赤ちゃんをあきらめきれない自分はおかしいでしょうか。これ以上子供を望むのは問題があるのでしょうか。

【 ご相談内容 】

私は3人の子供がいますが、4人目、5人目の子を死産しました。
4人目の子の時には胎盤剥離になり私も出血が多く命も危険でした。その後5人目の赤ちゃんを授かりましたが、15週で先日原因不明でお腹の中で亡くなってしまいました。

現在私は39歳で、前回の4人目の赤ちゃんを亡くした後に、どうしても赤ちゃんをあきらめられず、主治医に伝えたところ、「すでに3人も子供がいるのに、リスクを犯してまた妊娠したいなんてことは問題がある」、「どうしても欲しいなら養子をとれば良い」などと言われました。

それでもやはりあきらめられず、転院して妊娠の許可があり今回待望の5人目の赤ちゃんを授かりましたが、亡くなってしまいました。

2回続けての死産で、まだ3週間しか経っていないのですが、毎日が辛くて、生きているのに精一杯です。 そんな中でも、主人と3人の子供達がいてくれるのが救いです。今、目の前にいる子供達を亡くなった子供達の分まで大切に育てていこうと思う中で、まだ赤ちゃんをあきらめられない自分がいます。

そんなふうに思う自分は、4人目の子を亡くしてからおかしくなってしまったのでしょうか?周りからみれば3人も子供がいて、2回も死産をして、しかもそのうち1回は、命も落としかけ、年齢も39歳で。

私もこれが他の人のことならきっと、もう辞めといたらいいのに。と思うと思います。時間がたてば私もそう思えるようになるのでしょうか?

これ以上子供を望むことはやはり、以前の主治医に言われたように問題があるのでしょうか?
毎日そんな事ばかり考えて苦しいです。しっかり3人の子供達のことや、家事をこなしたいと思っているのに、苦しくてつらくてうまくできません。

【 回答 】

ひかりんさん、苦しい気持ちをうちあけてくださって有難うございます。ひかりんさんは、5つの<いのち>のお母様なのですね。5人目のお子様は、15週生きられた―。
でも、哀しいお別れをなさってから、まだ日も浅いのですね。

>しっかり3人の子供達のことや、家事をこなしたいと思っているのに
それは、ママであるひかりんさんの自然な気持ち―。 日々のご家族の暮らしを支えているのは、ひかりんさんなのでしょうね。

>苦しくてつらくてうまくできません。
その日からまだ数週間…。お気持ちが揺れるのは、自然なことです。体調はいかがなのでしょう?

医療が進化したと言われますが、母体の実際が見える訳ではありません。それがもどかしいですね。母体が元気を取り戻すには、それ相応の時間が必要だというのに…。
子宮が治癒したり、女性ホルモンのバランスが戻っていくために、優しい環境に護られていたいのに…。
まして、痛むこころはもっと見えない世界です。
ひかりんさんのご家族は、ママと赤ちゃんの異変に心を痛めながら気遣いをされていることでしょう。 今は、まだまだ緊急事態です。 普段はひかりんさんがこなしていることも、「チーム家族」で手分けしてちょうどよいと思います。 「今はお願い、ね!」と助け合って過ごしてくださいね。

>4人目の子の時には胎盤剥離になり私も出血が多く命も危険
そうだったのですね!
それまでの3人のお子様の妊娠・出産も、一人ひとりにご心配な出来事もおありだったことでしょう。 出産はいのちを懸けての大事業であることを、ひかりんさんは実感されてきたことでしょう。でも、「まさかこんなことが…」。
赤ちゃんとのお別れは、初めてのご経験…。しかも、ひかりんさん自身もいのちの危機に直面なさったのです。ひかりんさんが生きていてくださることに、ご家族はこころから感謝していることでしょう。本当に、生きていてくれてありがとう!と…。
この経験と向き合うだけでも、本当に辛い日々であると思います。その上に、ひかりんさんが経験されたことは、ドクターの言葉…。

>リスクを犯してまた妊娠したいなんてことは問題がある
>どうしても欲しいなら養子をとれば良い
私は、ドクターとひかりんさんが向き合う診察室の光景を何度も何度も思い浮かべてみました。

ひかりんさんは、お別れした赤ちゃんの<いのち>を主語として向き合っている―。
ドクターは、目の前にいるひかりんさんの<いのち>を主語として向き合っている―。

もしかしたらドクターにとっては、赤ちゃんのいのちを助けられなかったことに対しての気持ちもいろいろあったとは思いますが、多量の出血をされた母親の<いのち>を助けることができた安堵も大きかったのかもしれないですね。

お互いに<いのち>と向き合っているのに、「主語」のすれ違いが、ひかりんさんの<哀しみ>の源泉となったように私には思えました。ドクターもいろいろなお考えがあると思います。その時のドクターは、母親の<いのち>のリスクを知っていて欲しかったのかもしれません。
でも、それは感情的な言葉で伝えられるべきではありません。 医学の知識としては圧倒的な情報の違いがあるのですから、患者に対しての説明責任を尽くすことも専門性であると、私は思います。
お別れした赤ちゃんもまた、<いのち>として確かに存在していたことを母親の体が記憶しています。
一方、母親は、心身共に、赤ちゃんと同化しているのですから、自分の<いのち>と赤ちゃんの<いのち>を区別するなんて感覚的にできないこともあります。
そのような心情を理解してくださって、「<いのち>の対話」に誘ってくださる医療であってほしいと、私は心から願います。

5つめの<いのち>をお迎えしたことは、ひかりんさんとご家族にとっていろいろな意味があると、私は感じました。

>どうしても赤ちゃんをあきらめられず
ひかりんさんは、お別れした赤ちゃんに「もう一度、会いたい」、「家族として迎えたい」というお気持ちがあったことでしょう。
そして、ご家族も同じ思いであることで、5つめのいのちをお迎えになられたのだと思いました。

>転院して妊娠の許可があり
ひかりんさんは、実際に行動されました!
このことで、4番目の<いのち>のお別れに立ち会ったドクターとは異なる考えのドクターを選ぶという自己決定をされました。

>毎日が辛くて、生きているのに精一杯
赤ちゃんとお別れした直後です。今は、哀しみの嵐の真只中。辛いですが、それは、人としてとても自然なこと。 生きている証でもあると、私はいつも思っています。

>2回続けての死産
次の妊娠・出産のリスク等については、今のドクターとの話しあいをすることで、リスクや時期などについて、ご夫婦で知識を深めながら、取り組まれてはいかがでしょうか。
医学は進歩しているように見えますが、子宮という<いのち>の世界のことは、見えないこともいろいろです。
医師も数値で示せることばかりではないと思いますが、対話を重ねることで、ひかりんさんが、自分のことを自分で決めていくことができるために、理解を深めることは大切なことであると私は思います。

ひかりんさんとご家族が経験されたことには、このようにいくつもの深い意味があると思います。

複数の課題が重なり合っているのですから、ひかりんさんが辛いのは当然です。
<いのち>は、ひとりひとり、それぞれが大切!
ひかりんさんは、<いのち>の大切を知る人です。
ひかりんさんは、ご自分の感情と向き合いながら、ていねいに生きようとする人であることが、伝わります。

でも、ひとりで辛い経験と向き合うことはしんどいです。
時には、赤ちゃんとのお別れを経験した<仲間>と気持ちのわかちあいができるとよいと思います。
「まさかこんなことは―」という出来事は、経験した人だから通訳なしで伝わる言葉があるものです。

相談者:ひかりん様
回答者:田村 芳香